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聖書にはないユダヤ人の民話Part③なぜ神は一度に沢山の人を滅ぼすのか

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 こんばんは。MORU(@MORUNUMA)です!
 前回の記事はいささか専門的な解釈を必要としましたが、今回は非常にシンプルで分かりやすいユダヤ人の民話を紹介します。
 今から紹介する物語のタイトルは「モーセと蟻」です。こちらも非常に考えさせられるメッセージがあるので、是非最後までご覧ください。

モーセにまつわる伝説のおさらい

 モーセは、映画「十戒」で主人公として登場した有名な人物なので、ご存知の方はたくさんいらっしゃると思います。
 彼は、旧約聖書の「出エジプト記」に登場した預言者で、古代エジプトにて、奴隷として働かされていたヘブライ人達(古代ユダヤ人のこと。イスラエルの民ともいう。)を導き、神の助けを借りながら彼らを脱出させました。

 彼はエジプト王と魔術勝負をして、ナイル川の水を血に変えたり、エジプト脱出中、追ってきたエジプトの軍隊から逃れるため、目の前にあった海の水を2つに割り、その間に現れた海底の地表を通って民と共に脱出するなど、数々の奇跡を見せました。こうして民たちは、彼と自分たちの神を崇めます。
 ある時モーセは、シナイ山の山頂に顕現した神から、イスラエルの民が守るべき戒律-通称「十戒」-を授かりました。その中には、「偶像を拝んではならない。」という戒めもあったのです。
 しかしその最中、自分たちの指導者モーセがなかなか山から下りて来ないのを不安に思った民たちは、金の子牛の像を造り、これを自分たちの神として崇め、すがりました。
 神はこれに気付き、モーセに知らせます。そして神は怒りに燃え、彼らを全滅させると宣告しましたが、モーセが彼らを赦すよう懇願したので、神は一度思い留まりました。
 モーセは急いで下山し、偶像を粉々に破壊した後、「神に従う者は私のところへ来なさい。」と宣告します。その後モーセは再び神のもとへ行き、自分たちの民がしたことを詫びました。そして神は、モーセに付き従わなかった者たちを滅ぼしたのでした。

神が一辺に沢山の民を滅ぼした理由

 聖書では、偶像を崇めた民たちが神によって裁かれる様子を、短く次のようにしか説明していません。

そして神は民を撃たれた。彼らが子牛を造ったからである。

(「旧約聖書 出エジプト記」第32章35節)

 「この撃たれた」という物が一体何なのか分かり辛いと思います。映画「十戒」では、神の怒りの雷が地面に落ち、このため地殻変動が生じ、地面が裂け、モーセの勧告に従わなかった者たちはこの奈落の底に落とされました。
 しかし「モーセと蟻」ではその描写が異なります。実際に物語を読んでみましょう。

 モーセがシナイ山で十戒を授かっているとき、イスラエルの子らは黄金の子牛をつくる罪を犯していました。
 彼らは神の罰として疫病に撃たれ、3万もの人間が死にます。
 そこで、預言者の中の大いなる預言者であるモーセは、神に向かって祈りながら、こう言いました。

 「主よ、どうしてこのようなことを。」

 すると神はこう答えます。

 「彼らが罪を犯したからだ。」

 モーセは言いました。

 「しかし、どれ程の罪人がそこに居たというのですか。そこで殺されてしまった罪のない者たちのことをお考えください!」

 しばらくしてから、モーセは舟を漕ぎだしました。彼が船の上で寝入ると、蟻たちが彼の足の上を歩き回り、噛んだりしたので、彼はぴしゃりと手で打って殺しました。それを見た神はこう言います。

 「モーセよ。なぜお前は蟻たちを殺したのだ。」

 モーセはこう答えました。

 「私を噛んだからです。」

 「何匹の蟻がお前を噛んだというのだ?2匹か?3匹か?しかしお前は何十匹という蟻を殺したのだ!お前が噛んだ蟻と噛まなかった蟻を区別できなかったように、私も罪を犯した者とそうでない者を区別できなかったのだ!」

 それゆえ、諺に曰く。

 「火が森林で荒れ狂うとき、それは悪い木と良い木を同時に焼く。」

この物語の解釈

 前回の民話「堕天使」もそうであったように、「何故神ともあろうお方が、このような振る舞いをなさるのか。」という疑問に対し、いかに絶対の存在である神を擁護しつつ、その説明をするか考えた末に生み出されたのが、「モーセと蟻」なのでしょう。

 恐らくこの物語が伝えようとしていることは、「神のことをとやかく言う前に、まず自分の行いをかえりみなさい。」ということなのです。この物語は、アフガニスタンで語られている口伝の話なのですが、語り手は、神のことを言う前に自分はどうなのか。神に対して自分はどれ程の存在なのかを、聞き手に考えさせたかったのかもしれません。
 ダライ・ラマ14世は、「一神教徒は、唯一絶対の存在を設けることによって、それと対比して自尊心の肥大を抑えている。」と言いました。この物語にも、その理念が表れていると言って良いのではないでしょうか。

 また、ユダヤ人が何か理不尽な境遇に見舞われた時、「なぜ私は何も悪いことをしていないのに、神はこんな目に遭わせるのか。」と思う人も多々いたことでしょう。このような場合、ユダヤ人は、「肉親や兄弟などの、あなたの周りの人が何か罪を犯したに違いない。」と考えます。(このことは次の記事で説明したいと思います。)そしてユダヤ人の神は、「罰すべき者は決して許さない」神なので、裁くときは徹底的ですから、容赦なくその周りの人間も巻き込みます。

 この物語の最後にある諺は、このような神の裁き方に対する、一種の諦めのような意味が込められているのです。つまり、「燃え盛る炎が良い木であろうと悪い木であろうと、分別することなく一度に燃やしてしまうことが自然の摂理であるように、神の徹底的な裁きはそもそもこのようなものなのだから、ただ受け入れるしかない。」ということなのです。


 いかがでしたか。今回は前回に比べ、シンプルにまとめることができました。次回はまた、この民話の補足的な話を紹介します。次の話もそこまで専門的な解釈を必要としないので、どうかご安心ください。
 それでは次回の記事も、どうぞお楽しみに!







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MORU

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