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【滅亡したインカ帝国のその後】ワマン・ポマが見たスペイン人の植民地支配

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 こんばんは。MORU(@MORUNUMA)です!
 今回は前回に引き続きインカについて紹介します。今回の記事は前回の記事をお読みいただかないと、話の経緯が分かり辛いかもしれませんのでご注意ください。

 南アメリカのアンデス地方には、大変独特で特徴的な文明が栄えていました。それはインカ帝国です。しかしこの文明は、スペイン人の侵略によってその歴史に幕を閉じます。
 当時世界の全てを南アメリカ大陸一体だけだと思い込んでいたインカ人は、世界の外からやって来た顔色も違う、宗教も根本的に違うスペイン人たちに支配されます。その時の衝撃は相当の物だったでしょう。

 彼らが一体どのような支配を受けていたのか、怖いもの見たさのあなたは気になるのではないでしょうか。それではさっそく、その実態を見ていきましょう。

侵略後のインカ人が受けた受難

過酷な労働

▲虐待を受け、涙を流しながら織物を織るインカ人
(ワマン・ポマ著「新しい記録と良き統治」より)

▲炭鉱労働での虐待(同上)

▲ポトシ銀山の労働

 この時代の西洋は大航海時代であり、植民地主義が蔓延していました。西洋人から見て非文明的だとされた民族は次々に彼らの植民地下に置かれ、労働力として搾取された上、奴隷のような非人道的扱いを受けていたのです。
 当然、インカもその例外ではありません。前回説明した経緯の通り、インカ帝国がスペイン人によって滅ぼされた後、彼ら先住民は上の画像にあるような、様々な強制労働を強いられました。

 ポトシ銀山での強制労働では、インカ人だけでなくアフリカから連れて来られた奴隷たちも動員され、両者合わせて数百万人が劣悪な労働環境により命を落としています。
 これら強制労働に加え、ヨーロッパからもたらされた天然痘やはしか、インフルエンザによる死亡者数を合わせると、想像を絶する人間の命が奪われていたと言います。

 なぜこのようなことが許されていたのでしょうか。それは当時のスペインに「エンコミンダ制度」というものがあったからです。
 これは、入植者がキリスト教の布教活動をするのなら、改宗させた先住民を労働力に使用しても良いという制度でした。この制度は18世紀まで存続し、多くのインディアンを苦しめます。

新たな身分秩序

 エンコミンダ制で先住民の数を激減させると、労働力が減ったためスペイン本国への貢ぎ物も減ります。そして農産物の需要が増え値上がりしました。
 そこで彼らは、人々が消え去りがら空きになった様々な土地を買い漁り、大規模農園を作りました。本国は彼らに土地所有の権利を認めます。こうして、エコミンダ制に代わる制度として「アシエンダ制度」が確立しました。
 もちろん労働力は不足しているので、また更にアフリカから大量の奴隷が供給され、農作業に従事させられました。

 その結果、ラテンアメリカに新たな人種秩序が出来上がります。支配層には本国人、次に植民地生まれの白人「クリオーリョ」、白人と現地人の混血「メソティソ」、先住民の「インディオ」、白人と黒人の混血「ムラート」、その最下層に黒人という、厳しい階層秩序が形成されました。

現在も残る歪み

 かつてのインカ文明を担った子孫たちは、大抵の場合貧困にあえぎました。ラテンアメリカ諸国は独立を勝ち取った後も、いまだにヨーロッパ諸国に比べて劣位におかれ、上述のアシエンダ制がもたらした階層秩序も名残を残し、これらの国内ではいまだにヨーロッパ出身の家系が先住民や混血層を支配下に置いています。
 こうした現状をフランスの人類学者バンデリエは「植民地状態」と呼んでいます。彼らは形では独立国家になっていますが、実態はまだ植民地支配を受けているようなものなのです。

▲センデル・ルミノッソの旗を掲げる武装した少年

 このため、彼ら先住民は自分たちの権利や経済基盤の確立を求める運動をしています。これを「インディへニスモ」といいます。
 こうした運動は過激派勢力を生み出し、共産主義思想と結びついた「センデル・ルミノッソ」という武装勢力が誕生しました。彼らはペルー国内で様々なテロ活動を行いましたが、なんとこの組織は現在も活動中です。
 これだけでも、いかに過去の植民地支配の影響が根深いものなのか、お分かりいただけるのではないでしょうか。

甦りつつあるインカ

 前回の記事も通してここまでお読みになられた読者の皆さんは、インカの文化や独自性は徹底的に破壊され、それらは全くなくなってしまったとお考えの方が多いのではないでしょうか。でも実際は違うんです。

太陽の祭典「インティ・ライミ」の復活

 インカ人の太陽神インティを称える祭典に、「インティ・ライミ」というものがあります。そうです。歌手のナオト・インティ・ライミさんの名前はここから来てるんです。
 この祭典は毎年冬至に行われていました。冬至は1年で最も日照時間の長い日のことで、向こうではそれが6月24日にあたります。この日は昔のインカでは元旦です。太陽神を称えるにはこの日が最適だと考えられたのでしょう。

 この祭典は皇帝アタワルパ死後の1535年から、およそ400年もの間スペイン人やカトリック教会によって禁止されていましたが、1944年になりようやく復活します。
 現在インティ・ライミはアンデス地方の至る所で行われているそうですが、その中でも特に有名なのはサクサイワマン遺跡で開かれる劇場上演で、毎年数千人以上の観光客を集める重要な観光事業になりました。

▲パレードの様子

▲再現されたサクサイワマン遺跡での儀式

眠っていた資料発見による考古学の発展

 前回と今回の記事で、何回か「ワマン・ポマ著『新しい記録と良き統治』」という説明文を各画像の下に入れていると思います。
 これは1615年にインカ人「ワマン・ポマ」が、当時のスペイン国王フェリペ3世に宛てた、全1000ページ挿絵500枚にも上る過去のインカ人の歴史や習俗、及びスペイン人たちによる統治の在り方などを記した記録書です。イラストは全て彼本人によって書かれました。
 この記録書は永らくデンマーク王立図書館で眠っており、1908年にドイツ人の学者によって発見され、その後1936年にフランスで公刊されます。

 これによりかつてのインカ人の暮らしぶりや、歴史・独特の価値観などが明らかとなったのですが、ポマ自身が伝えたかったスペイン人による植民地支配の黒い部分はさほど取り上げられていませんでした。
 そこへメキシコ人学者「ミゲル・レオン」は異を唱えます。この書は彼の問題提起により、征服されたインカ人目線からスペイン人による統治の実態を知ることができる貴重な資料として、その価値が再認識されることになったのです。こうした自発的な文化の復興や考古学的再発見によって、ペルーは本来の彼らが持つ民族的特色を取り戻したと言えるでしょう。


 いかがでしたか。前回ではインカ帝国の滅亡と、その文化の象徴であった歴史的建造物の破壊などを取り上げ、あまり救いがないかのようなまとめ方をしましたが、今回の記事にもあるように、彼らは永い時を経て、少しづつ自分たちの文化的アイデンティティを取り戻しています。
 一度徹底的に、跡形もなく滅んだかのように見えた彼らの文化も、陰で細々と継承していた人たちのおかげで再び息を吹き返し、見事に花を咲かせることができました。
 抑圧の歴史があってもここまで絶やすことなく受け継いで来れたのは、実に奇跡的なことです。ワマン・ポマやその他現地住民の「後世に残そう」という情熱があったからこそ、今の私たちは彼らの過去の歴史に触れ、ロマンを感じることができるのです。
 文化の面でも経済の面でも、これからのラテンアメリカのさらなる発展に期待したいですね。

 次回もこんな感じで、世界の知られざる出来事や不思議を紹介していきます。それではまた次の記事でお会いしましょう!







  • 筆者紹介

MORU

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